2014年2月24日月曜日

「「生きにくさ」という幸福」と2月の景色

 世界をどう見るかで、何者であるかが決まる。(ボブ・ディラン)

 2月もあと数日。ぼくにとっては「魔の月」とも思われる(?)2月ですが、なんとか乗り越えられそう… 2月から4月くらいにかけて、ぼくはあまり得意な季節じゃないようです、昔から。なにか、よくないことがある。来月は子が生まれますので、なにもなく、無事に生まれてくることを必死で祈ってます。あえてこの時期を選んで生まれてくるのかもしれない、とも思えてきて。彼なりの(つまり男の子です)、励ましをぼくに送ってくれています。


 結婚して、ちょうど2年がたちました。で、その結婚記念日に、急に思い出して、取り出してきたのが、この本。保坂和志さんの『途方に暮れて、人生論』。あの『小説の自由』にいたる前の仕事だったと記憶していましたけど、見返してみると、並行して進められていた仕事のようです。よく調べていないので、曖昧ですけれど。『途方に暮れて、人生論』には、続編に『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』という本もあって、その当時、ぼくは20代でしたけど、いつの間にか30歳を越してしまっていました(そんなことはどうでもいい? その間、まったく読み返していなかったのです…)。

 で、久しぶりに読んでます。──「「生きにくさ」という幸福」「あの「不安」がいまを支えてくれる」「老いることに抗わない」「家に記憶はあるか?」「「土地」と一緒に生きるということ」「見る力と、物言わぬ力」「想像力の危機」…

 私は結局、今という時代を生きにくいと感じている人たち全員に共通することは書けなかった。生きにくさの内実は人それぞれに違うはずだから、一般論を書くことはできない。しかし、ひとつだけ言えることがある。《今みたいなこんな時代》を楽しく生きられることより、生きにくいと感じられる方が本当のところ幸せなのではないか。人生としてずっと充実しているんじゃないか。これは幸せ・不幸せを定義するときに私がいつも感じる齟齬なのだが、自分が生きる時代をただ楽しいと思っていられる人は、その時代に適合するサイズの内面しか持っていない。時代が求めるもの以上の遠いところを見ているからこそ、その人は生きにくいと感じることができる。(「「生きにくさ」という幸福」)

 ここまで書きかけて、次に書くこと(『アフリカ』か、あるいはどこかに)が見つかったので、中断(ひどいブログ?)。おまけに、「あとがき」からもう一か所。

 拠り所となるのは、明るさや速さや確かさではなくて、戸惑い途方に暮れている状態から逃げないことなのだ。
 だから、この本には生きるために便利な結論はひとつも書かれていない。しかし安易に結論だけを求める気持ちがつまずきの因(もと)になるということは繰り返し書いている。生きることは考えることであり、考えることには結論なんかなくて、プロセスしかない。
 とにかく、今はおかしな時代なので生きにくいと感じない方がおかしい。生きにくいと感じている人の方が本当は幸福なはずで、その人たちがへこんでしまわないように、私は自分に似たその人たちのために書いた。

 なるほど、ぼくのような人のために書かれていたんだ〜。これを読んで、ぼくは「幸せの玄関」を書いたのだっけ? と思ったけど、この本の奥付を見てみたら2006年4月28日発行になっていて、「幸せの玄関」のほうが1年半くらい前なので違うか。でも、響き合ってはいるような気がして。(どう響き合っているか、よくわからないで書いてます。)

 あと、近況報告で、いくつか写真を載せます。


 今月は、ぼくがこれまで体験したことのない量の雪(南国生まれなもので)が、二度も降りました。これは一回目の雪。真ん中に見える灯籠(引っ越してきた当初から使えなくなっていた)が、見事に倒れて、足下からボキッと折れていました。30センチ以上は積もっていた。


 二度目の雪では、タイサンボクの枝が、たくさん折れました。上の写真は、降りはじめ。このあとぼくは外出支援(最近は「道草支援」と呼んでいる?)の仕事に出て、その日は帰宅できず大田区に泊まり込みで、翌日の夜、帰宅してみたら、かわいそうな姿になっていました。


 このとおり。それでも、元気に立っています。


 妊婦は雪かきができず、膝上まで積もった雪に踏み込んで家に入り、夜の雪かきをしましたが、ついでにつくった雪だるま。


 話はかわって、「よむ会」は、相変わらずやってます。今月は医学書院の「シリーズ ケアをひらく」から『驚きの介護民俗学』をやりました。タイトル、素晴らしいけど、内容は「民俗学者、介護の世界をゆく」という感じのドキュメント。「語りの森」が聴こえてくるような本が、これから書かれるのでしょうか。そのときは、また読みましょう。(次回、3月は猪谷千香『つながる図書館』をとりあげます。)


 『レコード・コレクターズ』の大滝詠一追悼特集(前篇)。資料性の高いのが特徴で、ほかの雑誌で書かれていることは「いまさら…」なことが多いですが、そこは、さすが『レコ・コレ』。これまでの蓄積が生きてます。あと、萩原健太さんの追悼文「松井秀喜のホームランと江戸文化をつないだあの感触。あのスリル」は、なんどもなんでも読みました。そこに出てくる「大滝さんがどんな人か、みんながぼくに訊ねる。そういう人にはこう答えるの。“話してもいいけど三日三晩かかる。で、さんざん話を聞いたあとあなたはこう言うにきまっている。そんな人はいない…って”」というのは、山下達郎さんのことば。


 そうそう、『アフリカ』最新号(22号/2014年1月)、相変わらず発売中です。この写真は珈琲焙煎舎。部数をぐっと減らしたのですが、ちょうどいい感じで減りつつ、ちょうどいい感じで残っています。迷っていた方は、いまのうちに。次号も、ぼちぼちつくります。


 あずきと、餅。


 また、春がきますね。

0 件のコメント:

コメントを投稿