2013年11月13日水曜日

1994年の秋と、2011年の秋のこと

 だれかが聴いたことのないレコードを持っていたら、決まってひっくり返してB面を聴いた。むろん、ぼくらにもうまくやれそうだと思えるような曲であることが絶対条件だ。(ポール・マッカートニー)

 一昨日の夕方、急なにわか雨、しかもかなり激しい雨におそわれて、止んだあと、急激に冷えこんだ。秋をすっとばして、もう冬ですね。11月もはやいもので中旬。いかがお過ごしでしょうか?

 上のポール・マッカートニー(いま久しぶりに来日ツアーを行なっている)のことばは、数日前に発売されて話題になっているザ・ビートルズ『On Air Live at the BBC Volume 2』から。


 1994年秋の『Live at the BBC』は、10代のぼくが夢中になって聴いた思い出深い1枚で、なにはともあれ、ぼくは「ラジオ」が好きだったんですね。しかも彼らが演奏している楽曲の大半は、彼ら自身のヒット曲ではなくて、1950年代半ばから当時(1960年代前半)にかけてのリズム&ブルース、ロックンロール、ポップスのさまざまな曲だったので、ものすごく新鮮でした。
 で、ポール・マッカートニーは、それらのレパートリーについて、ほかのバンドとの(いわゆる)差別化をはかるために、必死でレコード漁りをした、A面よりB面のほうがマニアックなので、むしろB面のほうに注目することが多かった、という話を書いている。ついでに、自分とジョン・レノンが自作曲を書きはじめたきっかけも「それならほかのバンドと同じになることがない」から、なんて。ポール・マッカートニーって人はやっぱりロマンティックな人ですネ(どこが? って訊かないで)。
 しかし、1994年にはなかった、現在のデジタル・マスタリングの技術は、やっぱり凄まじい。半世紀ほど前の、マルチトラックレコーダーもない、ラジオのモノラル録音が、えらい迫力で聴こえます。よく見たら(聴いたら)今回の再発、内容も微かに違うみたいですけど…


 さて、今日は11/13です。ちょうど2年前の今日、ぼくは初めて山手(駅でいうと、お隣の石川町駅ですけど)へ来て、ブラフ18番館で「サロン・コンサート」を聴いた。2年前の「道草のススメ」(もうすぐ閉じようと思ってますけど、まだ閉じてません)をみたら、こんなことを書いてる。その2ヶ月弱前の9/22、例の、Twitterでの「道草家を捕獲!」事件(?)があり、なにか磁石に吸い寄せられるように、あの秋の日、ぼくはこの横浜へ来たのでした(ちょうど「アフリカン・フェスタ」をやっていたんですね、行きませんでしたけど、笑)。
 その前日の11/12には、そのとき住んでいた 府中の部屋(があった建物)のお隣にオープンしたばかりの珈琲焙煎舎に初めて行き、そのときのことも「道草のススメ」に書いて、それを見つけた珈琲焙煎舎のふたりと親しくなり… という展開もありました。
 その後のぼくの運命(?)を決定づけるような出会いが、信じられないようなスピードで続々と起こったのでした。いまでも感謝しています。

 そして、そのときのぼくは、ネイチャリング・プロジェクトという団体が虎ノ門でやっていたNPO起業&経営塾といった場所に通っていた時期でした。まさか、そのあと、ほんとうにNPO法人のスタッフとして働くとは思っていなかったような…
 あのころ、語り合っていたことは何だったんだろうね? という話が、先日出たんですけど、いやいや、ぼくは少しずつ実現させてきてますよ。よ〜く見れば、わかる。まだまだ、これからやろうと思っていることもたくさんあります。
 最初のうちは妥協しておいて、あとで盛り返そうなんて考えは甘い。それでは、一生妥協しつづけることになってしまう。もちろん妥協できるポイントはたくさんあるけれど、大事なところでは絶対に妥協しない。と思っていました。その考えは、いまもまったく変わってない。いまでも、頻繁にわき出してくる「やっぱりできないよ」という声に、しぶとく「どうやればできるかなぁ。できる方法を考えよう」って問いかけてる。癖みたいになってきた。それは、ずっとつづきそうです。

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