2013年11月20日水曜日

元気になれる場所

 自分のありようを受け止め、そこで自分を肯定している人が、人にかかわるのは、ものすごく大事なことやと思う。(西田真哉)

 『アフリカ』の編集後記にも書きましたけど、昨年から、週1回、吉祥寺美術学院のアトリエで国語の授業を担当しています。
 そこでは、センター試験・国語の対策を、学生たちと一緒にやって、お給料をいただいているのですが、単に受験生のセンター試験対策というのにとどまらない、いろんな話をすることにしていて。ひろい意味で、「ことば」にかんする授業、あるいは、「ことば」にかんしてあれこれする場、と思っています。
 学生たちは、全員が芸大・美大入学を目指している20歳前後の若者たちで、彼らを見て話していると、当然ぼくは自分の10数年前を振り返りたい気にもなり、いろんなことを思い出して、あれもあった、これもあった、と、逆に忘れていた宝物をいろいろいただいて毎週帰ってきている。ような、気がします。

 先週は、「知っている」「知る」って、どういうことだろう? という語り合いの時間が少しありました。授業後に、だったけれど。


 今週、別のきっかけから、たまたまこの本を出してきて、めくっていたら、同じようなことを考えている箇所があって、今日の授業では、そこを少しだけ読む時間をつくろうかな、と考え中。この本『かかわり方のまなび方』は、著者の西村佳哲さんが、さまざまなワークショップや、プロジェクトのなかで出会ってきた、「ファシリテーションの世界を訪ね歩いた」「報告書」のような本。上の、西田真哉さんのことばは、この本から。


 先週は、ホックニーの画集の話もしたっけ。それでぼくは学生のころ夢中で読んだこの本を思い出して、帰宅してから、久しぶりに読んでみていました。「紙のプールで泳ぐ」という、ホックニーの画集について書いた短文を含む、いろいろな「本」にかんするエッセイ集。片岡義男さんの、作文のスタイルに、20歳前後のぼくはすごく影響を受けたんでした。この本を読むと、なんだか、励まされているようです。よし、また頑張ろう、という気になりました。よし、今日はこの本も持って行こう。(大丈夫です、センター試験対策の授業もしっかり進めてます。でも、まぁそういう勉強は学生ひとりひとりが進めていれば勝手に進むんですけどね。)


 先週末は、久しぶりに夫婦で、近くの根岸森林公園へ散歩に出かけました。これは、お気に入りの場所からの眺め。ことのはさんには、仲良しの木がいて、その木が立っている場所なんです。

 そこにいると、そこに行くと、元気になれる場所というのが、いろいろあるといいですね。ぼくには、どれくらいあるかなぁ。自分が元気になれる場所を拠点に、いま、ぼくは自分の仕事をできている気がしていて。これは、数年前まで、考えられないことでした。

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